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070405
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金魚

金魚Tシャツ制作進行中です!
実は、僕はけっこうな金魚コレクターなのであります。(後日、日記にコレクション画像でも載せたいと思っています。)
なので、金魚のTシャツも何点か持ってます。今回、T.L.Bにて初めて金魚をモチーフにするにあたり、かなり迷いましたが、画像のようなシルエットタイプのワンポイントにしました。
金魚にはいろいろな見所があると思っています。見る人それぞれに、鱗のキラキラや白と朱の錦の美しさや金茶の渋さなど。僕が今回焦点を当てたのはかわいい泳ぐ姿、尾びれが作るシルエットの優雅さ、です!
3匹にしたのも、密かなポイントです。

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鴨川

「動植綵絵」の中で僕が一番好きなのは「池辺郡虫図」という作品です。水辺にはカエルやオタマジャクシが不思議な規則性で並び、画面を囲むようにひょうたんの蔓が生き生きとめぐり、そこには様々な昆虫が生活しているのです。情景描写のようでいて、まるで違うのです。こんな構図の絵ははたして絵なのか?とさえ思ってしまうほどなのです。でもそこに描かれている全てのものが生命に忠実ながら美しさに溢れているのです。
(他の作品もそうですが)この絵の全てを観尽くすには相当時間がかかると思います(もしくは観尽くすことなど出来ないかも知れません)。展覧会では立ち止まることが出来ない状況でしたので(それでも人垣で動きが遅く5分以上は絵の前にいたと思うのですが)通り過ぎなければならなかったのですが、出来ることなら何時間でも何日でもずっと観察していたい絵なのです。僕は植物が好きで育てていたりするのですが、目に見えて動く訳でもない植物の成長を見ているのが好きです。結構いつまでも時間が許す限り見続けていても飽きるなどということがありません。若冲の絵と僕の関係は植物と僕の関係に近いものがあるような気がしています。

僕も絵を描くものとして、若冲のような絵面の作品を作りたいか?というと、そうでもないのです。もちろんこれだけ観ているからには知らず知らずや意識的に影響を受けているところは多々あると思いますが。僕が若冲の何に魅力を感じ憧れるのか?それは僕の想像する若冲の人物像そのものだと思います。僕の勝手な想像ですが、先にあげたような「やさしさ」や「地球の生き物としての人間性」を持つ若冲のような人間に僕自身なりたいのです。

話しがすごい方向にさしかかってきましたね…。でも、そのくらい僕にとって若冲は大事な存在なのだと思います。今までにも憧れる人物はいましたが、ここまでの存在ではなかったように思います。

展覧会の会場は静かながらも沢山の人の感嘆の小声で、異様な雰囲気でした。観る人それぞれの観点であがる感嘆の小声。ずっと昔に描かれた絵にこうして人々が集まってくる。若冲が描いていた頃より、むしろ現代から未来にとってこれらの絵はますます大きな意味を持つものだと僕は解釈しています。若冲は後の時代の人たちにとてつもないものを残してくれました。
離ればなれになってしまった「釈迦三尊像」と「動植綵絵」いつの日かまた相国寺の美術館で観ることができたらなと願いつつ、今回の旅日記を締めくくらせていただこうと思います。

※画像は東京へ帰る新幹線に乗るために京都駅へ向かう途中、七条大橋から撮影した鴨川の様子です。浅くキレイな水の中、小さな魚たちの泳ぐ背中が沢山見えました。魚が作る波紋の光と影をデジタルカメラに納めようと何枚もシャッターを切りました。この画像が一番よく撮れてたのですが、実際はもっとキレイだったなぁ。
「動植綵絵」は若冲の最高傑作とも言われています。その作品群をあるべき本当の姿で観ることのできるこの展覧会は何があっても訪れなくてはならないと思いました。本で観ていた憧れの「動植綵絵」の実物を観るのは僕にとってとても緊張感のある行為でした。
33幅全てが展示されているスペースは展覧会の最後に待ち構えています。そこに辿り着くまで、かなりどきどきしているにもかかわらず、その間に展示されている作品も若冲のもの。「動植綵絵」以外のそれらの作品にもどきどきさせられ、動悸が激しくなってしまいます。

ついに最後の一室に足を踏み入れるときがやって来ました。すでに絵の前には沢山の人影が黒い垣根を作るように重なりあっていたのですが、そこから上半分だけ姿を見せている33幅の絵の色彩と描画の迫力に瞬間でやられてしまいました。うっかりすると泣き出してしまいそうなくらいのエネルギーが押し寄せて来る感じです。(そうとう我慢したので涙は出ませんでしたけど)
今まで本の中で美しいと思っていたそれらの絵はやはり印刷物。肉筆の絵の美しさは想像を超えていました。動かない、音も出ない絵、なのに強烈に人の心を引きつけるとはこれいかに?そういう絵があり、そういう絵を描く人が居たのです。

若冲の絵の評論でよく取り上げられるのは精巧さと大胆さを併せ持つ筆致や、鮮やかな色使い、類を見ない構図などがあげられると思います。もちろん全てその通りで納得なのですが、僕にとって若冲のものすごさは「やさしさ」なのです。絵に納める対象の動物、植物、石、等全ての対象に同じ心遣いで接する優しさを持っている人だと思うのです。それを「やさしさ」というのは表現が適切でないかもしれませんが、若冲自身、人間としてその他の対象を描いたのではなく、地球の生き物として同じ仲間を描いていたのではないかと思うのです。
観る人によって、若冲の絵の世界に怖さを覚えることもあるようです。それはきっと自然から離れて行った人間ならではの感覚なのではないのでしょうか。

其の六へつづく
相国寺

今回の京都旅行の一番の目的は相国寺承天閣美術館で開催されている「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会」を観るためでした。
数年前の若冲ブームで初めてその存在を知り、興味を寄せていました。特にここ2〜3年、僕自身考えもしなかったほど「絵」を描く時間が増え、若冲の存在はさらに気になるものへとなっていったのです。

僕が把握している範囲で簡単に説明させてもらうと、若冲(伊藤若冲1776〜1800年)は絵を描いていた当時は人気のある画家であったようですが、その後の日本美術史の中ではその存在があまり注目されなかったようです。近年(1989、1990年)になりアメリカはニューヨークとロサンジェルスにて若冲の展覧会が開催されました。その出来事に対しても日本国内ではまったく報道もされなかったようです。日本の古美術の展覧会で個人を特集されたのはこの若冲が初めてだったとのこと。その展覧会は大成功を納め、海外にて現代における若冲の再評価がスタートしたのです。その後、2000年に京都国立博物館で開催された大規模な若冲展で、国内での若冲ブームが始まりました。当時宣伝などほとんど行われていなかったようですが、口コミで展覧会を訪れる人があとを絶たなかったようです。僕はその時はまだ若冲をほとんど知らず、展覧会が話題になっていることは耳にしていたのですが京都まで訪れるにいたりませんでした。

ブームなものには反骨精神なひねくれ者の僕ですが、若冲に対してはひねくれることが不可能でした。はじめてまじまじとその絵を観た瞬間にすっかり虜なのです。今ではいろいろな出版物などで、若冲の絵画の評論が見れますが、今回の展覧会を観ての僕なりの「若冲」の解釈を書かせていただきます。

今回の展覧会は若冲好きにはたまらない一つの仕掛けがありました。もともと一つの場所(相国寺)にあった33幅の絵は時代の流れの諸事情により、離ればなれになってしまったのです。1889年に泣く泣く30幅の絵「動植綵絵」を手放すことになった相国寺さんはその後100年近い年月を経て、1984年の相国寺創建600年の記念に「相国寺承天閣美術館」を設立しました。その展示室の一室に「釈迦三尊像」(3幅)と遠くへ離れて行ってしまった「動植綵絵」を合わせた全て33幅を一同に展示出来るスペースを設けていたのです。いつの日に叶うかわからない願いのために。
そしてさらにそれから23年経った今、ついにその日がやって来たという訳です!
この経緯だけでも感慨深くありませんか?

※画像は相国寺の鐘楼を写したものです。黒色にちかい建材の端に塗られた白色が何層にも重なり合って見せるコントラストの強い模様とシュロの葉の様子は、なんだか若冲の絵の雰囲気を彷彿とさせます。

其の五へつづく
伏見稲荷大社

夕暮れまでにもう一カ所訪れることが出来そうだったので、平等院からほど近い伏見稲荷大社へ行ってきました。
ここはわりと近年(6〜7年前ですか)に訪れたことがあります。ぎっしり並んでトンネルのようになった鳥居が印象的な場所ですね。

鳥居をくぐり階段を登り続けると、見晴らしの良い場所に辿り着きます(掲載画像の中央をご参照ください)。ここまで階段を登っていくのにけっこう体力消耗します。前回訪れた時はここで満足!満喫!と景色を眺めて引き返しました。しかしながら、参道はまだまだ続いているのです。案内板を見ると一周およそ30分とありました。途中途中にあった茶店もそろそろ店じまいの雰囲気、日も傾き参拝者の姿もほとんどありませんでした。「どおしよう、帰ろかな…」と思ったのですが、今回はここで帰ったらダメな気がしてならず、迷いもあったものの足が勝手に動きだしました。
見晴し台までとはうってかわって急勾配の上り下りの階段の連続、かなりきつかったのですが休んでいたら日が落ちてしまいそうな焦り、ハァハァいいながら歩き続けました。誰もいない静かな薄暗い山の鳥居の連なる階段、現実離れしてました。少し怖い気もしました。そんなこんなで歩き続け、どうにか日のあるうちに戻ることが出来ました。久しぶりな疲労感がちょっと心地よいような感じもしました。所要時間ちゃんと計らなかったのですが一時間半くらいでした。

宿(仮眠室つきサウナ)に戻る前、やはりほうじ茶ソフトクリームだけではもの足りず、意を決して京都名物「にしんそば」を食べに行きました。四条大橋近くの総本家にしんそば 松葉さんへ。そばもニシンも大好きなので、きっと好物だろうと食べたのですが、やはり美味しかったです。そばのダシは辛目(しょっぱすぎということでなく、甘みがほとんどないというニュアンスです。関西風なのでしょうか?)で甘く煮付けたニシンと一緒にいただくと日本人好きな甘辛のハーモニーなのです。食べに行って良かったです。

清水寺、平等院鳳凰堂、伏見稲荷大社、にしんそば、と、結構お腹いっぱい京都を堪能出来た訳です。いよいよ翌日に控えたメインイベントへの準備も万端!というものです。

其の四へつづく
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プロフィール
HN:
日出夜
年齢:
55
性別:
男性
誕生日:
1971/05/09
職業:
絵師
趣味:
園芸 石集め
自己紹介:
東京ローカルバザール 
絵師/デザイナー
東京在住

1993年 多摩美術大学美術学部デザイン学科染織デザイン科入学。在学中に染色技法(友禅染、ろうけつ染、型染、しぼり染)、スクリーンプリント技法(染料、顔料、特殊プリント)を専門に学ぶ。

1997年 学部卒業後、同大学染織デザイン研究室(改組にて生産デザイン学科テキスタイルデザイン研究室となる)に入室。7年間に渡り教育現場とテキスタイルに携わりながら、「染色する」という工程から生まれる素材感や色彩効果を中心に自らの表現を模索する。

2004年 大学研究室を退職し次なる活動の場を探しつつ自由きままな生活をはじめる。財力も尽き果て明日をどう生きるか?くらいの窮地の中、絵画を日々の糧のために描く機会にめぐまれ、人とのつながりの大切さを思い知る。その時、絵画を描く中で純粋に美しい色と形が描き出す世界の奥深さと安堵感を再認識する。

2005年 東京ローカルバザールのプロジェクトに出会い、プロジェクトの意図することに深く共感と意義を覚える。「布」「染色」「絵」「人とのつながり」という自らの創作の複数のテーマを一つに現せる場所としてこのプロジェクトを認識しデザイナーとして就任する。

2006年1月 東京浅草に「東京ローカルバザール」開店。

迅速堀起成为世界知名的T恤品牌Tokyo Local Bazaar,设计师兼创办人日出夜利用他对染织设计的知识 ,将传统的印染技巧运用于现代的设计上,打造出一系列色彩夺目,抢眼独特的T恤。Tokyo Local Bazaar的专门店设在东京的游客区浅草,更为产品添上日本独有的下町气息。
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